アトリエ - 2017.07.02

波佐見ぶらぶらvol.1 ~一丸となり器作りを支える「波佐見の民力」~

長崎県、そしてお隣の佐賀県にかけての一帯はいわずと知れた陶磁器の王国。
有田や伊万里をはじめとする生産地が点在している。



そのなかでも皆さんは波佐見焼をご存知だろうか?



「え?知らないよ」と言われる方でも一度は波佐見焼の製品を目にしたり、手に取ったりしたことがある、と断言しよう!
というのも誰もが知る雑貨メーカーの器作りを担うのが波佐見の生産者だったり、ということも実は少なくないからである。



波佐見焼の始まりは約400年前のこと。
江戸の後期には染付けで日本一の生産を誇り、その後も庶民が使いやすい器として日本全国の家庭で使われてきた。



シンプルで、目立つ特徴がないのが波佐見焼の最大の特徴と言われるが、その特徴を最大限に生かして日本の食卓を長年彩り続けてきたのである。



ここ最近は「波佐見焼」というブランドも確立され、とくに若い世代を中心に「シンプルでおしゃれな器」として人気が高まっている。

 

 

そもそも、私が波佐見焼を意識した最初のきっかけは今からかれこれ15年ほど前に手に取った一冊の雑誌だった。
その雑誌の中では波佐見の特集が組まれ、魅力的なお店や波佐見焼が紹介されていた。



中尾郷の廃墟のような蔦が絡まった風情のある建物に思わず「ラピュタみたい!」とときめき(今もあるのかなあ)、シンプルな波佐見焼の潔さに一目で心惹かれた。


「ここに行ってみたい!」という気持ちがむくむくと沸いたのだが、なにを隠そう私は長崎出身。
8歳までを長崎で暮らしたけれど、お恥ずかしながら波佐見に関してはほとんどなにも知らなかったのである。



そして月日は流れカメラマンとして独立して数年、満を持して訪れた波佐見町で波佐見焼に携わる職人さんを撮影する機会に恵まれた。

 

 

「日本の棚田100選」にも選ばれた鬼木の棚田に寄り道。ちょうど棚田祭りの時期で趣向を凝らされた案山子がいたるところに。


ここで質問。


皆さんは陶磁器の生産というと、どんなことを想像されるだろうか?
作務衣を着た作家さんが一人もくもくと土をこね、ろくろを回し、寝ずに窯に火入れをしている姿だろうか。


もちろん、そんな風に「作家」として活動している生産者さんもいらっしゃるが、波佐見の場合はこんな感じが一般的である。

 

 

波佐見の窯業は完全に分業化されている。
大まかに分けると①陶石の加工②成形③素焼き~下絵付け~釉かけ~本焼成という流れ。



最初に伺ったのは一誠陶器さん。③の工程を主に担っている。
作業場内に入ってまず驚いたのがほとんどの職人さんが女性であるということ。

 

 

波佐見では子供のころから家業の手伝いをするのがあたり前で、特に女性は「嫁をもらうなら波佐見から」と言われるほど働き者が多い。

 

働くお母さんが多いため、保育園もそのことを考慮して帰りが遅くなったときには対処してくれたりするそうで、東京で子育てをして働く身としてはちょっと羨ましく思った。

 

 

絵付けには相当な集中力を要する。

 

 

窯入れを待つ器たち。釉薬をかける前のマットな白さもとても美しい。

 

 

こんな風に板に載せた器を運ぶ姿を波佐見ではよく見かける。軽々とやっているように見えるけど、絶妙にバランスをとらないとできないよな~と惚れ惚れ。間違っても手伝わせてください、なんて言えない。

 

 

現社長の江添圭介さん。
とても穏やかなお人柄がひしひしと伝わる。

 

 

江添清悟さん。



いまは息子さんに会社を任せておられる先代の江添清悟さんにこれからの波佐見のことを伺った。



「これからは、さらに外に開かれた波佐見になってほしい。そのためには過去にとらわれずに新しいことにも挑戦していかないと。波佐見、有田と同じことをしているのに分断されている状況には何の意味があるのか?と思うよ。肥前地区としてもっと広範囲でとらえないといけない」
素晴らしいです!広い視野でのお考え、とても素敵です!



こんなリベラルな考えをする方々が先代として道を作ってくれた結果として、いまの波佐見の面白さがあるんだな~と実感した瞬間だ。



波佐見は「民力」があると外部の人からはよく言われるらしい。

まさに子供からお母さんまで一丸となって器作りを支える姿を目の当たりにして、「民力」の本当の意味を知ったような気がした。


余談だけど、波佐見の人はとにかくよくお酒を飲む。
そして人懐こい、というかパワフルというか…人生を愉しんで生きているのを感じる。


ここにも「民力」がある、と言われる所以があるのだろうな。