企画展 - 2018.08.27
『手繰り寄せる地域鑑賞』 vol.5 プレートテクトニクスが導く高知と龍馬のふたり旅 後編
地球に形成される人新世
高知県は、県庁所在地であり市街地でもある高知駅を中央に、そこから左右に半島が伸びている。まるで弓なりのように大きな弧を描きながら細くなっていく東西端は、西は四万十川の下流を経て足摺岬に、そして東は室戸岬になっている。もうひとつ、プレートテクトニクスとしての高知を感じる場所として、室戸ユネスコ世界ジオパークのある室戸岬を挙げよう。室戸岬は、海成段丘と呼ばれる段々上の台地が造形するダイナミックな岬で、いわゆるすり鉢状ではなく絶壁となった台地が海に向かって立ちはだかり、海岸線沿いに列を成している。台地の上部は山のように先細ることなく、平地となっているため(三角形でなく台形をイメージしてもらいたい)、その上には、何事もなかったかのように畑や家屋が存している。近年、ドローン撮影が地域自治体で多く用いられるようになったが、容易になった空撮の技術は、室戸岬の魅力を雄弁に語るにふさわしいだろう。
読者の想像するとおり、この海成段丘をかたちづくったのも、プレートテクトニクスである。フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むことで堆積物が地表に押し出されると、波による浸食と隆起が繰り返され、段々の台地を形成した。よって、海から遠ざかれば遠ざかるほど、高くなればなるほど古い地層となっており、13~12万年前、6000~5000年前、そして1300人近い死者・行方不明者を出した1946年の南海地震による波食台、と三段に連なる。1946年の段丘という事実(波間からひょっこり顔を出している、という程度の段丘だが)が、大地の胎動が現在も連綿と続いていることを伝え、そら恐ろしくなる。
室戸岬の紀伊水道側には、室戸世界ジオパークセンターという建物がある。ユネスコによって2011年に世界ジオパーク認定された室戸岬の、地形の形成、その上に成り立つ文化などの特徴を伝えるべく建てられた施設だ。高知市街からは車で2時間ほど。開放的なドライブが楽しめるでもない、かといって充実したスポットが多いでもない、弛緩した道を進んでいくと、ラジオも聞き飽きた頃にジオパークセンターの標識案内が現れる。地方らしい、だだ広い駐車場の奥に、その施設はあった。展示は「変動帯としての大地」をコンセプトに掲げており、プレートのひしめき摩擦し続ける日本においては、この大地でさえもが永変し続けるものであり、我々は安住することなく、強大な環境に順応することが求められる。椹木野衣は『震美術論』で、震源地であり続ける日本における芸術表現や、揺れる大地と共生する日本という国のあり方について言及していたが、このジオパークセンターは社会地理学的な観点から、宿命とも言える日本列島の特殊性に迫っている。赤青の3Dメガネによって日本と周辺の海を高低で見せるマップや、子どもにもわかりやすいクイズやアニメ、体験コーナー、プロジェクションなど、多様な工夫がされていた(それはときに老若男女に親切で、ときに助成金の匂いを感じさせるほど、過剰に多様だった)。施設の奥にあるパネル展示のコーナーは特に秀逸で、大地の特徴が、そこからどのような文化形成をもたらしているのかをマインドマップで示している。段丘の岩礁帯を活用してつくられた日本で最初期の掘り込み港は遠洋漁業を可能にし、掘り込み港は高知県が誇るカツオの捕獲を容易にした。また、ぶつかって海溝の深海水を浅海に押し上げる南海トラフは、海洋深層水を高知の名産品にした。プレートテクトニクスが海成段丘へ、海成段丘がお茶の生産や野菜果物の収穫へ……というように、軽やかにプレートと産業・文化をつなぎ、八方にその価値を広げていた。
四国カルストやジオパークセンターが雄弁に語るように、高知は2枚のプレートの摩擦によってできた前線地とも言え、地表から見えている部分を、ましてや都会からの視座のみで「アクセスの悪い地方」とするのは短絡的だ。まるで長崎県の出島のように、様々な文化や資源を日本列島にもたらす玄関口として、このエリアは機能している。
室戸世界ジオパークセンターの3D高低図。室戸岬周辺の高低差がすさまじい
室戸世界ジオパークセンターのパネル。海成段丘の写真がわかりやすい
室戸岬から高知駅にまた戻ると、南口の前には坂本龍馬の銅像が建てられている。西洋の海に憧れ、四国の山々を縫うように超え、諸国の文化を、思想を日本へと持ち込んだ彼の功績が、どこか高知に至る付加体やプレートテクトニクスの動きと重なる。150年経ったいまも、13万年経ったいまも、彼らの試みが多くをこの県にもたらしていることを、感謝せずにはいられない。龍馬もまた、プレートテクトニクスに動かされた付加体のひとつなのかもしれない。
室戸岬ジオパークスカイラインサイト展望台より
さて、先にふれた通り、四国カルストの石灰は横一文字に日本を横断しており、大分県の津久見にもつながっている。この土地もまた、大地のもたらした財産により、多様性を、文化を形成したと言える。ぼくは1年間弱ほど、大分をフィールドワークする機会を得、そのことを感じてきたのだが、その話はまた別の機会にしたいと思う。
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