企画展 - 2018.08.20

『手繰り寄せる地域鑑賞』 vol.5 プレートテクトニクスが導く高知と龍馬のふたり旅 前編

遅れて来た島

高知はいま、維新150年に賑わっている。空港のゲートを出ると、受付には関連パンフレットがこれでもかと置かれている。日本の様々な空港を訪れたが、その数は断トツで多い。まず地区ごとに観光スポットを紹介するもの、食を扱ったもの、そして宿泊情報やツアー案内など。これだけでゆうに20種類は超えるであろうに、「維新150年」関連のものが今年は加えられている。維新に関するスポット紹介に、偉業の概要紹介、偉人紹介と、数種類が並ぶ。最後に挙げた2種に至っては、空港に置かれる観光パンフレットの役割を大きく超えており、高知出身の偉人の成したことなどがびっしりと細かく書かれている。その狂気じみた文量たるや、解説書と呼んでも差し支えがない。編集の仕事をしていると、情報を足すことより削ぎ落とすことのほうに難しさを感じるが、その点において高知は完全に氾濫してしまっている。ぼくらはスマホとgoogleさえあれば、油田のように情報を掘り当て、湧き出させることができる。情報社会において重要なのは、細部に知識を追いかけることよりも、そこから高く跳び、鳥の目で大局に新たな視座を取り入れることである。

 

日本地図で見ると、高知は孤立している。瀬戸内海や豊後水道で本州や九州と隔てられ、さらに四国の他県からも高い山で阻まれている。南に目を向ければ、もちろん太平洋が広がっている。そのため、他県のついでに高知に行く、ということはなかなか考えにくい。残りの四国三県(愛媛、徳島、香川)もアクセスがいいとは言えず、各県から高知県の主要部と言える高知駅周辺に行くには、車で2時間近くかける必要がある。必然、高知を訪れる回数は確率論的には減っていく。

 

だが、「プレート」から高知を再見すると、その孤立した印象は180度変わることになる。北に広がるユーラシアプレートと、南に広がるフィリピン海プレートの際(キワ)に高知県は位置し、南側には南海トラフという深い谷が陸地に沿うかたちで続く。視認が困難な海中を想像力で補うと、北のなだらかで広大な丘陵と南の荒々しい山谷による表情豊かな山脈の斜面に高知県はある。そしてそのため高知は、地形や地質はもちろん、それらを踏みしめ耕して生活を送っている動植物やヒトの生き方もまた、引きずられるように多様だと言える。

 

「観光」を試みるとき、ぼくらは駅前の美味しい居酒屋を、有名な建築家が設計した美術館を、ガイドブックを片手に持って歩き回るが、テラ(terra[地球])の視座で見たとき、それらの行為は地表を撫でているだけにすぎない。表面的なものに囚われるのではなく、何万年もの時間が織りなす地形を、目に映らない海底のダイナミクスを、そしてずっと奥で蠢きぼくらの生活を静かに操るプレートを感じることで、より複層的で壮大な「観光」を体験することができるのではないだろうか。今回、高知県を観るとき、ぼくの課題設定はそこにあった。

 

地質図。付加体が四国を真っ二つにしているのがわかる

 

地質の変化で表された日本地図──地質図を見ると、その事実は如実に顔を出し、日本という島に見慣れない表情を表出させる。大分県の津久見あたりから宇和島、高知市、徳島県阿南のあたりを結ぶと、北東に延びる一本の線になる(線は紀伊水道を超え、和歌山県にまで延びている)。その線の北側(香川、今治、そして中国地方)は中生代(2億5000万年前~6500万年前)に形成された変成岩や火成岩であるのに対し、南側はきれいに性質が変わり、新生代(6500万年前から現代まで)に形成された付加体が大半になる。地質図を見ると、県境とも海岸線とも異なる見慣れぬ線が「突如」(と愚かにも地表しか見てこなかったぼくらは思ってしまう)現れ、西日本を真二つに分断している様に驚く。高知は、「遅れて来た日本」なのだ。

 

高知県高岡郡にある佐川地質館のハイライト。パンゲア分裂の変遷をわかりやすく紹介している。インド大陸がユーラシアに衝突した際に、ヒマラヤ山脈の形成をシワで表現するこだわりがにくい

 

パンゲアと呼ばれる大陸についてふれたい。パンゲアは、当時の地球をかたちづくる全ての大陸が衝突し合うことで2億5000万年前頃に誕生した、超巨大な大陸を指す。日本はもちろん、現在のアメリカ大陸やユーラシア大陸、アフリカ大陸などもその一部だったことを知ると、その広大さは想像をはるかに超えるものだろう。


パンゲアは2億年前頃に再び分裂を始め、気の遠くなるような時間をかけて、現在の世界地図にゆっくりと近づいていく。太平洋プレートとフィリピン海プレートの沈み込みによって、現在のユーラシア大陸からは少しずつ東端が分断され、湖が海となり、やがて弧状列島として独立する。これらは現在の日本海と日本列島の原形だ。中新世──2300万年前から500万年前──のことである。いっぽう、パンゲアの分裂後、長旅を経たフィリピン海プレートは日本列島へと歩み寄り(日本列島は、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、太平洋プレート、北米プレートの4枚がせめぎ合うことでバランスを取っている流動体で、それがこの国を地震大国と言わしめ、豊かな自然や温泉文化の形成に影響している)、ユーラシアプレートとの衝突点ではその下に沈み込むことで南海トラフを形成し、上にあった堆積物をユーラシアプレート側に押し上げた。ベルトコンベアのように運ばれてくるそれらは元々あった弧状列島に付加されるかたちで、ミルフィーユのごとく層になって山々をなす。そう、先ほどふれた付加体はこうして日本列島に合流し、現在の高知県を形成していった。

 

四国カルストを一望する

 

高知空港で車を借りたあと西へと向かい、四国を上下に分断する山の頂点(つまり、地質で言えば変成岩と付加体の間だ)に位置する四国カルストへは、車で2時間ほどかかる。くねくねと続く登り坂を経た先に開けるのは、みどりの牧草地の中にある、白くゴツゴツとした異物──石灰カルスト──だ。まるで牧草を自由に泳ぐひつじのように石灰は表出し、そのあいだを牛がそぞろ歩き、草々を食べている。想像力をプレートに這わせれば、石灰を中心とする四国カルストの地質は、地質図に表れた先の線に沿って、大分県にまでつながる。線上には阿蘇山が鎮座し、約9万年前の大噴火によってこの弧状列島と付加体を接続し、文化黎明の号砲を華々しくあげる。津久見は石灰の生産量日本一を誇っており、セメント工業地帯が街の産業を支え、近年では工場の夜景スポットとしても人気を集めている。石灰が溶け出した海はミネラルを多く含み、関アジ・関サバを代表とする豊かな魚介類の一端を担う。こうした津久見~四国カルストの表象は、やがて石灰となる海底の堆積物をプレートが運び、付加体として地形を形づくり、そして現在の文化や産業を表出している──という数万年もの時間軸と数十キロもの深さによる壮大な生態系(メカニズム)があることを伝えている。

 

四国カルストにあるカルスト学習館のベランダからは、付加体をなす山々が一望できる。近景から中景、遠景へと丘陵線が少しずつ淡くなり、空に溶けていく。その奥には太平洋までが展望でき、南海トラフからベランダまでの、押し上げられた堆積物の連続を感じる。この規模が「付加体」とプレートに付随するおまけのように呼ばれていることに、地球の大きさを感じずにはいられない。山水画が描かれるとき、近景の木々や造形物は力強い輪郭線を伴うが、いっぽうで遠景は輪郭線が描かれず、その境界線は曖昧になる。その偉大さを前に、卑小な人間が自然の造形を区切っていくことを恐れ多く感じたのでは──と妙に納得してしまう。

 

この学習館ではほかにも、四国カルストが織りなす独特の自然や動物などや、先にふれたプレートテクトニクスにまつわる四国の形成が、パネルで簡潔に、わかりやすく紹介されている。また、先に記した通りベランダからはその証明ともなる複層なる山々が広がる。四国カルストは、壮大な景色とともに、胎動するプレートの動きを感じ、知ることができる、絶好のプレート展望台なのだ。

 

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