企画展 - 2018.12.14
『手繰り寄せる地域鑑賞』 vol.9 地域鑑賞のキュレーション
毎月のことかもしれないが、9・10月と忙しなく各所を巡った。アモイ・金門島を訪れ(台風22号が接近。旅程を急きょ変更する)、青森から新潟に南下し、そのままパリへ。そののち梅田へ(ここで台風24号に遭遇。再度、旅程を変更する)。それから近江八幡、大津、小倉(ここで台風25号に遭遇。再々度、旅程を変更する)、別府、熊本、日田、福岡とまわった。これまではひとつの地に数日滞在することが多かったが、今回は慌ただしく各地を巡った。
これだけ多い出張をそこそこに楽しんでいるのだから、知らない場所に赴き、そこで様々なことを見知るのが、自分は好きなのだと思う。たまたまに今回は転々と巡って行ったものだから、一箇所を深く見る“観光”ではなく、各地を渡っていく“旅”というものについて考える時間が必然増えた。
対馬から博多、瀬戸内海を通って大阪に降り立ち、東海道を通って近江八幡、関東へと向かう道は、朝鮮通信使の歩いてきた道と重なる。通信使の道のりからすればずっと短い広島から呉の道のあいだでさえも、陸路を通ろうとするといくつもの険しい稜線を行かねばならず、その厳しさは西日本豪雨の爪痕が如実に伝えている。また、青森から新潟に南下する旅は、歴史的には北前船の経由港を巡る旅とも言え、それは日本海側から下関を通過して瀬戸内海を通り、大阪に入る。
よって、とくに貿易(古代には黒曜石が、近代には大阪城築城のための石が運ばれた)として重いものを右に左に運ぶ際には、海路のほうがずっと重宝されていたことがうかがえる。その海路は現在、展望風呂の大型フェリー「さんふらわあ」として大阪と別府をつなぎ、航路によって栄えてきた日本の文化を現代に受け継いでいる。
また、今回は瀬戸内海沿いを新幹線で大阪から博多へと抜けたが、海と山の際を進んでいく線路は、日本列島の付加体の上を走っているとも言え、それは石灰で結ばれる高知や津久見のラインと並行し、海のさらに下を走る地層の、長大な時間を感じることができる。付加体に沿って行く先にある博多の前には、黒潮がある。東南アジアから大きく流れ込み、台湾や九州を抜けて博多の脇を通り日本海のほうへと抜けて行く。
博多から南方に広がる九州の中央には日田がある。この地域が天領地だったことはその地政と偶然ではなく、中央として各地にアクセスしやすかったため、道が四方に広がり、栄えた。さらに南にある阿蘇山は4回もの大噴火によって文字通り九州をつなぎ、火山礫や火山灰は各地を覆った。
この10年で右肩上がりに増加した外国人観光客は、やがて東京や大阪、京都といった主要都市だけでは飽き足らなくなり、そこらを拠点に周囲の場所を訪問し、あるいは回遊を図るようになった。北陸新幹線の開通は日本海側へのアクセスを容易にし、それまで太平洋側の都市圏が中心だった訪問地に金沢を加えた(いま、金沢は急ピッチでホテルの建設が進んでいる)。北海道新幹線や九州新幹線の開通、LCCや国際便の充実も、縦に長い日本列島の回遊性を高め、線的なツーリズムをデザインしやすくした。
点が増え星座となり、観光は旅へと性質を変えていく。駅や目抜き通りを中心とした集落型や、地域芸術祭や振興イベントなどのカンフル剤としての“地域活性”は各地に溢れ、効果を薄めている。点としての魅力づくりから脱却し、いかに多様なキーワードとつながるか。旅を横串でつなぐテーマを勝ち取るか。複数の星座と重なり得るか、が今後は重要になっていく。
地域鑑賞は、作品(地域単体)から展示(地域と地域、そしてその関係性)へと移行しようとしている。
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