企画展 - 2018.10.30
『手繰り寄せる地域鑑賞』 vol.7 栃木の白い箱で誘発される、外れの天地予報 後編
外れる天気予報
「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるウェザー・リポートは、霧を発生させて姿をくらませたり、雨で銃の弾倉を濡らしたりと、天候を自由に操ることができる。だが、覚醒後のスタンド「ヘビー・ウェザー」(アメリカのジャズ・グループ「ウェザー・リポート」の代表的なアルバムと同名)は、オゾン層に干渉し太陽光を屈折させることで、地上に虹を発生させる(サブリミナル効果を発生させ、人々をカタツムリに変えることもできる。なぜ?)。
また、BUMP OF CHIKENの「ウェザー・リポート」は天候をモチーフとしたラブソングで、可視的な天気から不可視な相手の気持ちへと思考を誤配させ、彼ららしい青春の恋愛を描いている。そしてこの曲は、ソ連の宇宙飛行士を意味する「COSMONAUT」というタイトルのアルバムに収められている。米国の宇宙飛行士を指し、日本人にとってはより一般的な「ASTRONAUT」という語の「astro」は、“宇宙”という意味だけでなく“月”という意味も指す。いっぽうで「cosmos」は「宇宙」に加えて「秩序」や「調和」といった意味合いも含んでいる。アメリカとソ連の宇宙開発競争の結末を思い返すと、BUMP OF CHIKENがあえて「COSMONAUT」のほうを選んだのはなんとも甘酸っぱい。
ジョジョとBUMP OF CHIKENのどちらにも言えるのは、「天候」という直接的な意味から段階的に(通常スタンドから隠れたスタンドへ、ひとつの曲からアルバムタイトルへ)視野を拡張し、オゾン層や相手の気持ち、宇宙・調和といった見えないもの(不可視の視座)へと誤配を、展覧会と同様にネオ・コスモグラフィア的に広げている、ということだ。今回の展覧会のタイトルが、なぜ「ウェザー・リポート」なのか(例えばなぜ「ネオ・コスモグラフィア」ではなかったのか)という疑問符が鑑賞後によぎったが、より大衆的な名称にすることによって、様々な誤読を可能にしていることを言及しておきたい。
ヨーゼフ・ボイス 芸術=資本 1979 栃木県立美術館蔵
ぼくが訪れたのは、お盆。記録的な猛暑と気狂いじみたセミの合唱のなかを歩き、じりじりと自制しながら美術館に逃げ込むと、そこは別世界のようにひんやりとした、静かな空間となっていた。いまが夏なのかも、ここが栃木なのかも判別しがたい、管理されたホワイトキューブの純度は、ある考察を試す場としてふさわしい。ここで、これまで各地を巡り見てきたような、“地”に対してサイトスペシフィックな「いま・ここ」を見出すことは、その特異性ゆえに困難ではないかもしれないが、いっぽうで“天”はどうであろうか。この地球を覆うひとつのもの、そして日頃の視座に比べると、あまりに遠大で鳥瞰を要求されるもの・「天」に、その場所性を見出すことはできるのであろうか。地域鑑賞を試みてきた身として、宿題を預かったような心地で帰りの新幹線に乗ると、越後妻有で開催されている「大地の芸術祭」鑑賞ツアーへの参加打診メールがきていた。ちょうど思考実験をする場としてはよい材料なのでは、という予感を感じたのであるが、その話は、また別の機会にしたいと思う。
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