インタビュー - 2018.09.12
【キング・ホウンデケピンク インタビュー】 日本のTVゲームに夢中だったパリっ子が、日本の陶芸に影響を受け、現代美術作家になった話 後編
パリ在住のベナン系フランス人作家であるキング・ホウンデケピンク(King Houndekpinkou) のインタビュー後編です。
――日本のどこの窯元にこれまで滞在してきましたか?
備前焼作家の澁田さんと。備前には毎年滞在する。
2013年から毎年、澁田さんと彼の家族や、「けらもす」の友人たちを訪ね、備前に滞在しています。備前に毎年帰れること、そこに友と呼べる人がいることは本当に光栄です。
彼らは私の家族のような存在です。
昨年の冬、滋賀県立陶芸の森でアーティストインレジデンスを行いました。そこで2ヶ月間(1月から3月まで)滞在し、「Thank you for the Clay」と題した日本での初個展に展示する作品を制作しました。陶芸を私に紹介してくれた日本に感謝の想いを伝えたかったのです。
信楽では、地元の陶芸家、篠原希さんと知り合う機会がありました。私たちは、「テールジュメール」という共同プロジェクトを行いました。このプロジェクトは、ベナンと日本の陶芸の里同士の姉妹都市関係を築こうというもので、お互いの技術とお互いの土を混ぜて作ったオブジェを残していこうとしています。私は関係諸国の大使に対してプロジェクトへの参加を呼びかけ、両国間の文化的対話を促進しようとしています。 私はこれを「創造的で活発な外交」と呼んでいます。
信楽の陶芸家、篠原希さんと
昨年3月には、兵庫県の丹波を訪れ、清水剛さんに会いました。来年、彼とこのプロジェクトを行う予定です。益子にも数回訪れましたが、2日以上そこに泊まったことがないので、次回はもっと長い期間滞在したいと思っています。
――日本の窯元に滞在中の出来事で、一番印象に残っていることはなんですか?
2016年の非常に暑い夏の最中、備前の友人達と7日間の穴窯焼を行なったことですね。本当に素晴らしい経験でした。
私たちは順番に窯の見張りをして、窯の温度上昇をコントロールしなければなりませんでした。体力、規律、忍耐、持久力を必要とする非常に厳しい作業でしたが、備前の陶工たちと共に伝統的な窯で焼くという、本当に夢のような時間でした。
7日間の穴窯焼 2016年夏
穴窯を開ける様子
信楽の陶芸の森でのレジデンス生活も思い出深いものがあります。滞在先で沢山の素晴らしいアーティストに会い、創造的な空間で彼らと共に充実した時間を過ごしました。そして、信楽は日本での初個展を開催した地にもなりました。私の作品には、日本の伝統的な陶器との関連性がありませんが、個展を見に来てくれた地元の幅広い世代の人々は、私の作品を楽しんでくれて、リスペクトしてくれました。
福岡、備前、東京、日本各地に住む友達やギャラリーの方が作品を見に、私に会いに来てくれました。忘れられない美しい思い出が信楽にはあります。
信楽での初個展の様子
総じて、私が決して忘れることができないのは、様々な場所で出会う人々の寛大さとおもてなしです。歴史的な陶器の町で彼らと出会い、時間を過ごすことができたのは、私にとって本当にかけがえのない経験でした。
――パリの自身のスタジオではどのような制作をしていますか?
まず轆轤を回しシンプルな形を作るところから始めます。粘土が半乾きの硬さになったら、大胆な手法で表面を成形していきます。ちなみにこの時が、最もエキサイティングな段階です。どうするのかというと、作品から数メートル程離れ、粘土の塊(主にスパイク)を作って作品に向かって投げつけるのです。踊りながらやることもあります。全体のまっすぐな輪郭が消えて無くなるまで少しずつ粘土の塊を加えていくと、やがて全体の外観が「損なわれた」ようになります。
スタジオで制作する様子
このプロセスは、ブードゥーの祭壇の装飾について先に述べたことが基になっています。創造的なこの行為の際中に、周りの世界が消える瞬間があります。その時行為は感情に従い、逆に感情は行為に従うようになります。飾ろうとする意識を無くし、内なる自分とつながり、身振りで私の心の中にあるものを表現する。自身をあるがままの状態にし、思考することをやめるのです。
しばらく作品を寝かせ、完全に乾燥した状態になったら、電気窯を使って1030℃の熱で焼成を行い、その次は色や表面に深みを得るために、釉薬を何層かかけ流します。釉薬をかける工程は4日間くらいかかるときもありますが、それが終わったら、作品を1250℃で焼成します。焼成は複数回行うのが基本で、最大で8回くらい行うときもあります。そして作品によっては、最後に金彩を施し、780℃で焼成します。
基本的に毎日活動していますが、制作だけでなく、ウェブサイトの管理、ギャラリーとの打合せ、展覧会のスケジュール設定、ビエンナーレ、グループショー、プロジェクトへの申請、ニュースレターなどの作成も行いますし、外出してパリのギャラリーや美術館の展覧会を見に行ったりもします。
私のスタジオはロマンビルというパリの北東郊外の町にあります。自宅からバイクで25分程。私はバイクが好きで、スタジオに向かう時間は一日の中で特に好きな時間です。
現在はスタジオを4人アーティストとシェアしています。ちなみに彼らの作る作品は陶芸ではありません。私のスペースは、窯の部屋と作業する部屋とが2つに分かれているのですが、全ての工程を1つのスペースで行えるようにしたくて、今は別のスタジオを探しています。作品の規模と数も増しているので、今のスタジオでは色々と窮屈になってきました。変わるべき時がきたということなのでしょう。
作業場
窯の部屋
――日本では、陶芸は伝統的な技術という見方が根強いですが、パリやそのほかの都市において陶芸がどのように考えられていると感じますか?
私の経験に基づいていえば、日本の人々は、陶芸を主に器や機能的なものと関連づけていますよね。それはなぜかといえば、縄文時代に始まる強固な陶器の遺産があるからでしょうか。それから、日本は豊かな食文化があり、それぞれの料理には特定の陶器が使われます。日本の陶磁器生産は、日本食と同様に多様です。
ですが、これらの認識は変化しつつあるのではないかと思っています。特に今年滞在した陶芸の森などの、文化的な取り組みが寄与するところが大きいのではないでしょうか。陶芸の森は、世界的にも有名なアーティストインレジデンスなので、陶芸を行っているアーティストが世界中からやってきます。陶芸が主な表現媒体でないアーティストでも、陶芸の森は彼らの滞在を受け入れているのです。例えば、私が陶芸の森に滞在した最初の頃、画家として世界的に有名な奈良美智さんが滞在しているのを見かけました。このような取り組みは、日本の人々に向けて、陶芸本来の多様な可能性の認知を進めることになりますし、その意味で陶芸の森の活動はとても素晴らしいことだと思います。
欧米は、日本より保守的でないと思います。陶芸は機能的な製品や工芸品に限定するのではなく、アートやデザインの世界に容易に入り込んでいく傾向があります。アートメディアとして見られる向きはますます強くなっています。
感性が自由であることで人は沢山の技術やアイディアを実験することができます。この考え方は、陶芸という技術の捉え方や制作において私のベースになっています。私の制作技法は轆轤や道具の使用など基本的な陶芸の技術に根ざしていますが、作品は機能的ではありません。私の作品には歴史、文化、生の感情が込められているのです。純粋主義的な陶芸の考え方を持つ人にとっては、そこを理解するのが難しいようです。
信楽でギャラリストやアーティストと会食する機会があったのですが、その席で桑田卓郎さんの巨大なお茶碗が話題になり、「彼の作品はアートだ」という人と、「彼の作品は工芸だ」という人で意見が分かれました。私にとっては、この討論だけみても、アーティストの作品が伝統や慣習についての議論を促進し、社会に影響を与えるということが示されていると思いました。それこそがアートがなすべきことでしょう。
ボカ・ラトン美術館で開催されたグループ・ショー
私の作品が最近、フロリダのボカ・ラトン美術館で開催されたグループ・ショー「Regarding George Ohr: Contemporary Ceramics in the Spirit of the Mad Potter」に展示されていました。この展覧会は、現代陶芸専門の美術史家であるガース・クラークによってキュレーションされた展覧会で、桑田卓郎さんや、伝説の陶芸家ピーター・ヴォーコス、ケン・プライス、ベティ・ウッドマンなど18人のアーティストが参加しました。
この展覧会に出展した数名のアーティストは過去に、伝統的な陶芸の考えにはない「グロテスク」で「常軌を逸した」作品のために、純粋主義的な陶芸の考え方を持つ人々によってほとんど無視されてきました。
最近では、これまで主に絵画、彫刻、写真、インスタレーション、デザインにフォーカスしてきたニューヨーク、パリ、ロンドン、東京のアートフェアに、陶芸の存在感が増しています。ものごとは進化しており、日本やその他の地域でも先ほど例に挙げたような会話が行われています。それは良いことだと思います。
私にとって、土は世界から生まれた魔法の物質です。世界は広大で、したがって陶芸の世界も広く多様な作品や表現があるのは当然のことなのです。
土は、性差や文化、そして肌の色など気にせず、いつだって人間の魂との会話を求めています。土は本当に寛容な癒しの媒体なのです。十代の頃あまりに多くの時間ビデオゲームで遊び過ぎ、美来が「ない」と言われた私に、土は「ある」と語りかけてくれたのがその良い例でしょう。
取材・文/田森葉一(みんなのギャラリー ディレクター)
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