企画展 - 2019.1.18

『手繰り寄せる地域鑑賞』 vol.10 徳山で食べる懐かしき四川料理の味

 

徳山。山口県の瀬戸内海沿いに位置し山陽新幹線の停車駅でもある同駅は、そこそこに商店街や美術館や動物園といった公共的な施設や賑わいを抱えているいっぽうで、通りに人は少なく、シャッターの閉まった店も少なくなく、活気というものからはやや遠ざかっている。出張で転々としていると、(誤解を恐れず言えば)人がまばらで普段着で過ごせるような駅に降り立つとホッとするものだが、この徳山駅も、ぼくにとってそのひとつかもしれない。

 

徳山駅前の工事中ターミナル

 

 

この駅はいま、いわゆる地域の活性へ大きな一歩を踏み出している。2018年に駅直結で周南市立徳山駅前図書館ができると、図書館の1階に入った書店コーナーやスターバックスコーヒーには(そう、この図書館は蔦屋書店のCCCが運営している)若い人が見られるようになった。駅前はターミナルの再開発が進んでいて、夜中にも煌々と工事中の灯りをともしている(ひっくり返されたコンクリートだらけの広場に、荒廃した印象を受けるのはぼくだけだろうか)。

 

図書館のイベントの一環として呼んでいただき、トークイベントを催したのは11月。まだ薄地のコートで歩くのが心地よい季節だった。トークの前半では近年ぼくが関わった仕事や訪れた地域の話などをして、後半には、この街──徳山を、果たしてどう活性化していくことができるのだろうか、という議論をした。なるほど、スタバは多くの人を集めているにせよ図書館はハコ(施設)でしかなく、やはりその外に広がる“街”を活性化させるのはどこまでいっても人である。駅前広場の先にある美術館や動物園といった街に点在する施設をどう誘導して街全体の活気につなげるか、という議論になった。

 

周南市立徳山駅前図書館

 

 

東京にいる人間(ぼくだ)からすると、山口県はなんとも縁が少ない。大阪や京都、神戸、広島、博多といった大都市に行く用事はできるが、山口県に行く理由はなかなかに生まれない。結果、新幹線で通り過ぎることが大半である。山陽新幹線の車窓から眺める山口県とは、山、山、山。ひたすらに山が続き、wifiルーターの電波状況が悪い仕事の捗らないエリアで、ネットがつながるようになると「もうすぐ下関だなぁ」と思ったものである。

 

陸地に囲まれ波の穏やかな瀬戸内海は、古代より航路として繁く活用されてきた。大坂城築城の際には石垣のための石材が、日本海から回って来る北前舟によって様々な北方文化が、西から東へと運ばれ、さぞ当時から瀬戸内海は活気があったのだろうと想像される(フィールドワークで大分県・姫島を訪れたときにも、大きなタンカーが何艘も島の周囲を往来していたことを思い出す)。さらに遡れば旧石器時代には黒曜石が姫島から瀬戸内海を通って山陽の各地へと運ばれ、また、点在する島を日本列島群ととらえるヤポネシアの視点で見ると、東南アジアと日本列島は黒潮でつながり、瀬戸内海に流れ込む。南北と西からの文化流入の袋小路にあたる場所が、瀬戸内海なのである。

 

文化往来という養分をたっぷりと含んだ瀬戸内海はまるで胎内に満ちる羊水のようで、各地を回遊させ、日本文化を育む。その充実に比べれば、陸地(そして特に瀬戸内海沿岸の街)は物理的な人の拠点でしかなく、歴史も浅い(徳山の歴史が語られ始めるのは、主に17世紀──つまり江戸時代である)。現代という数百年の状況だけを鑑みて、駅前や目抜き通りの活性化を図るのはやや狭量で、ぼくらが取り組むべき「活性化」は、陸地の内側で施設と施設の往来に勤しむことではなく、へその緒よろしく、胎内である瀬戸内海から、そしてその向こう側に広がる異国から、いかに多様な文化や交流を取り込むことができるか、ということである。

 

目の前にある、近現代に拵えられた新幹線の駅をのみ拠点に考えてはならない。舟に乗れ、海に出よ。物理的な簡便さを越えた場所とつながるのだ。そこで立ち現れる星座こそが、古代から育まれてきた航路であり、徳山の本来的な可能性なのだ。

 

打上げの二軒目に行った四川料理のお店は、実においしかった。この水餃子も、航路をわたって半島や対馬を経由して来た本場の味なのかもしれない。そう思えばまた、瓶ビールもすすむものである。

 

 

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