企画展 - 2018.03.30

『手繰り寄せる地域鑑賞』 vol.2 博多で泳ぐ、境界線ワークショップ 前編

ノン・モダン・サーカス、ノン・モダン・トーキョー

シルク・ドゥ・ソレイユの「キュリオス」を観劇する機会を得た。東京で暮らしていると、「新しさ」という刺激にさえ感激神経は麻痺してしまうが、「サーカス(シルク・ドゥ・ソレイユをそう言い切ってしまってよいのか、という議論はあるが、ここでは割愛する)」の非日常性は強く、いまなおぼくをワクワクさせる。

その日、夜にして快晴。お台場の殺風景な区画の間に間に、風が吹きつける。ビル群をすり抜けて行くと、黄と青の映えるテントが突如として現れた。ピンライトがそのところどころに当たる。発電機の鈍い低音に導かれるように、人が吸い込まれていく。日常と非日常の際が、やわらかくなろうとしていた。

 

「キュリオス」仮設テントの外観


「サーカス」では、超常的な身体能力が披露される。はじめこそ鑑賞者はそのパフォーマンスに目を見開き驚くが、鑑賞を繰り返す度に見馴れ、やがて衝撃は薄れる。そうして、さらなる刺激が求められる。要求に応えるべくさらなる刺激を提供する。見馴れる。さらなる刺激を要求する。…その繰り返しだ。シルク・ドゥ・ソレイユはショーに物語性を加えることで、驚度とは異なるものさしを導入した。数あるサーカス団のなかから、シルク・ドゥ・ソレイユは「シルク・ドゥ・ソレイユ」たる個別性を勝ち得たのだ。

「ドラゴンボール」(あるいはそれ以前のマンガの多く)では、サイヤ人、フリーザ、セル…と進歩主義的に強い敵が現れ、それに対し孫悟空も界王拳、スーパーサイヤ人、スーパーサイヤ人2…と強さを更新し、応えていた。対して、「ジョジョの奇妙な冒険」が「幽波紋(スタンド)」を、「ワンピース」が「悪魔の実」を導入し、登場するキャラクターたちが純粋な強さだけでなく相性を考慮し出すようになった。ゴロゴロの実は最強種とされる自然(ロギア)系でありながらゴムゴムの実(ゴム人間)を天敵とし、敗れた。絶対的には弱い(とされる)能力者が相性の導入により存在を認められ、ここに複数性が生まれる(自分との距離の近さから少年マンガから引用したが、きっとほかのジャンルにも見られるはずだ)。

そうした進歩主義からの脱却と複数性の容認が、シルク・ドゥ・ソレイユには、そして今回の演目である「キュリオス」からは読み取れる。「キュリオス」の主人公・シーカーは、19世紀ロンドンの産業革命の世界に迷い込み、骨董品や機械が軽やかに踊り、魚がトランポリンで舞う様を目撃する(そのストーリー構成は、どこかファウストがあらゆる欲望を追い求める姿にも重なる)。そこでは、機械は人間と共生し、有機的に振る舞う。物質を動かそうとするエネルギーを力学に則って増幅し目的地への移動を効率化する自転車が、宙に浮かび、ペダルを踏むエネルギーを無効化させる様は、実に滑稽で現代批評に満ちている。

畢竟、今作では、改良や効率化を追う一方向の進歩主義的な世界に問題が提起されている。資本主義の限界が叫ばれながらもそれに代わるモデルが定着したとはいまだ言えないなか、シルク・ドゥ・ソレイユは、「キュリオス」を通して産業革命の複数性を提示し、「もうひとつの資本主義」を模索しているのかもしれない。

いっぽうで、舞台を出たエントランススペースには、パンフレットやクリアファイルなどの公式グッズから、ビールに軽食といった物販コーナーまでが立ち並び、スポンサーであるダイハツの展示車両が入口に立ちふさがっている。産業革命のもうひとつの可能性を目にする前と後とでは、この経済空間はどのように見えかたを変えるのか。パフォーマンスをパフォーマンスで終わらせず、現実に接続させるその空間設計と思考実験も、「キュリオス」の楽しみかたのひとつだろう。

 

シルク・ドゥ・ソレイユ「キュリオス」の様子

 

Lesson.1 線が無を分かち、面を様相する

マンガにおいて境界を形成する輪郭線は、面を分割し、その複雑な絡まりによって絵を構成し、キャラクターを形成する。線自体が表現を担保することも特徴で、太さや強弱、運筆のスピードによって、線は様々な表情を見せる(やはり世代的には「ジョジョ」や「バガボンド」を思い出す)。 

地図上の線も同様に土地の所属を2つに分かつが、実際に現地に行くと「線」という物質はなく、便宜上の概念であることに気づく。そしてだからこそ、実際に物質的に線が立ち現れている場合(ベルリンの壁やDMZ[非武装地帯]を思い出してほしい)には、その社会や歴史における意味がつきまとい始める。

博多を訪れたのは、今年で2度目だ。1度目は、対馬を訪れた際(vol.1を参照)にその経由地として。2度目の今回は、純然たる目的地として訪れている。日本からも韓国からも観光客が多く訪れ、水平線に陸地を見やる対馬は、国境がやわらかく、博多側/釜山側といった外への広がりをイメージしやすい。いっぽうで博多は、360度を海に面した離島の対馬と異なり、九州という陸地の際であり、貿易港として古来より栄え、つまり、境界線上にあると感じることが多かった。 

線が曖昧に溶け出ていた「対馬」に続く今回は、「博多」にまつわる線との向き合いを考えてみたい。

福岡城跡である大濠公園を抜け、福岡市歴史博物館の前でバスを降りる。そこから博物館を背に南へと歩いて行くと、5分ほどで団地群のなかに松林や砂地が現れる。これは防砂林──埋立が拡張される前の、陸と海を隔てる線──の名残で、以前は海岸線がこのあたりにあったことを物語っている。 

そのままさらに5分ほど歩いて西南大学を超えた辺りにちょっとした丘があり、碑が建てられている。元寇神社だ。場所と名称が示唆するとおりここには、元寇防塁というモンゴル人の襲来を迎え討つべく鎌倉幕府が当時の博多海岸線につくった石築地がある。いまでこそ数カ所にしか元寇防塁は残されていないが、当時は博多湾の沿岸一帯につくられていたという。元寇神社脇にあるものに関しては土に埋もれ、壁ではなくむしろ溝に反転してしまっていた。

朝鮮半島を襲撃した倭寇や豊臣秀吉の朝鮮出兵が詳細に説明されることはあまり記憶にないが、元寇については中学校の教科書などにその様子を表す絵が載っていたため、強く印象に残っている。未知のものが海を渡って生活を脅かす脅威が、モンゴル人のギラついた目でキャラクタライズされ、「国防」という意識を育んでいた。だが、ちょうど北から南へと歩いて行くその道は元寇から見た航路とも重なり、襲来(訪日と呼びたい)を疑似体験することになる。防塁のどちら側に立つか右往左往することが、襲来する側と受けて守る側の両方の視点を、知覚することにつながるのだ。ここに、物質的な線が身体/視座の反転を促している。

 

元寇神社の様子

 

元寇神社の脇にある元寇防塁跡

 

Lesson.2 塗り絵ははみ出たっていい

旅の楽しみのひとつに、東京にいてはなかなか訪れることのできない、地域の展覧会を見ることが挙げられる。今回は少し電車に揺られ、現代美術センター北九州CCAで展示されていたピピロッティ・リスト「初期のビデオ作品展」を訪れたことに触れたい。 

現代美術センター北九州CCAは、折尾駅からタクシーで10分ほど進んだ、山を切り開いてつくられた学術研究都市のなかにある。整備された道と反復される建物を、人種も様々な人が往来している。その脇にある研究施設の2階に上がると、奥のほうから掴みどころのない音楽や声が、冷たくこだましてくる。無機質な廊下を歩き、その端に現れるホワイトキューブが、リストの展示スペースだ。

きれいに塗られた白い壁には、リストの初期作品が4作品展示されていた。スペースはきれいな正方形ではなく、ところどころが歪に出っ張ったり凹んだりしており、その凹凸の輪郭線をまたぐように映像作品は投影されている。必然、作品はきれいに四角くは投影されず、歪んだり、途切れたりしている。そして、広くはないこのスペースで、作品の音は混じり合う。 

誰もいないこの部屋で、ぼくは小さく体育座りをする。一つひとつの作品はマスメディアやジェンダーへの批評性を含んだ硬質な内容だが、環境のなかでにじみ出し輪郭が柔らかくなった映像と音が、それぞれの主題と正面から向き合わせるのではなく、受け止めかたをこちらに委ねてくれる。異なる主義や思想は、対立し反発し合うのではなく、どのように共生することができるのだろうか。作品たちが、ホワイトキューブに、ぼくに、染み込んでいくのを静かに待つ。

 

ピピロッティ・リスト《**》投影の枠組みがずらされているのがわかる

後編へ続く。