企画展 - 2019.3.13

思いを貫き、「人」に寄り添う。聖コルベ神父のパネル展示

 

「コルベ神父」という名前を聞いたことがありますか?

キリスト教カトリック司祭、というとブラウザの「戻る」ボタンを押してしまう人がいるかもしれません。ちょっと待ってください。笑

コルベ神父の出生名はライムンド・コルベ(Rajmund Kolbe)。1894年生まれです。ローマで学び、ポーランドで修道院を設立。布教の目的のために小冊子「無原罪の聖母の騎士」を出版(初めは一人で執筆!)、日本(後述)から戻った後は、ラジオ放送も開始しました。

 

つまり彼は、メディアの重要性、つまり人に知ってもらうこと、一人一人が張っているアンテナに少しでも引っかかることがいかに重要かを知っていたわけです。彼の目的は布教、そしてキリストや聖母の教えを拡めることでしたが、冊子を刊行し、ラジオを始め、同じ目的を持った人々が穏やかに、丁寧に共同生活を送る施設を創ったという事実に付随するバイタリティ、使命感とフロンティア精神は現代生活においても重要視されていることではないでしょうか。

 

自転車に乗っていた神父は誤って修道院の建物に突っ込み、修道士たちに何度も詫びたとか。

(出典:franciszkanie.gdansk.pl)

 

 

彼は1931年に船で長崎に到着しています。日本語は知らなかったと言われていますが、哲学博士号を持っていたので神学校で哲学を教え、その代わりに日本で「無原罪の聖母の騎士」の日本語版の出版許可を得ました。そして、長崎で聖母の騎士修道院を設立しました。

 

布教という目的のもと、理解者・協力者を見つけ、同じ心を持つ人を見つけて自らの志に常に忠実あったコルベ神父。

 

彼が人々の心に残っている理由の一つは、アウシュヴィッツ=ビルケナウ ナチス・ドイツ強制収容所に収容された後、宗教の分け隔てなく人々を看護したことや、脱走者が出た際、無作為に選ばれる10人が餓死刑に処されることになり、選ばれたうちの一人に妻子がいることを知って身代わりを申し出たためです。餓死室に入っても祈りの歌を歌い、懺悔に耳を傾け、他の9人を励まし、2週間経った後も息があったため、フェノールを注射されて1941年8月14日に亡くなりました。

 

修道服に羽織っているのは囚人服。手に抱えているのは、自らが発行した「聖母の騎士」

 

その後、1982年に列聖され、「聖」コルベ神父となりましたが、日本で暮らす私たちにとってなんだか遠い存在のような他宗教、聖職者、神父、司祭、聖人も皆、私たちと同じ人間。自転車に乗ったり、お芋を煮たり、人を助けたいと考えたり、お腹が痛くなったり、裁縫をしたり、笑ったり泣いたり。伝記や人物紹介を読むと、物語の中の人のように思えてしまうものの、周りの環境や状況の中で常に人は考え、判断することを繰り返してそれぞれの人生が刻まれていくことはいつの時代も、どこにいても全ての人に当てはまるように思います。

 

向かって左が聖コルベ。ウェストミンスター教会。みんな、この世を生きていた人。

(出典:Wikipedia)

 

この度、コルベ神父が創設した長崎の聖母の騎士修道院・聖コルベ記念館にて、神父の人生、活動、そして死を写真と文章で追うことができる展示が公開されます。同記念館は普段も、神父に関する資料や展示がとても充実していますので、今回の特別展のみならず、ぜひ「他の人の人生と思いに触れる」つもりで、身構えることなく是非お立ち寄りください。

 

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父パネル展示

2019年3月15日(金)〜25日(月) 9:00-17:00 期間中無休

予約不要、入場無料

会場:聖母の騎士修道院・聖コルベ記念館(長崎市本河内2-2-1)

 

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